WEEKLY OCHIAIまとめノート|シリーズ「時代を読む・明治」

「WEEKLY OCHIAI」1月24日 (水) 22時00分  23時09分

今回の「WEEKLY OCHIAI」は今回から2週続けて、落合陽一がある時代を特定して語ります。1回目は明治。歴史的な大変革、明治維新によって、江戸時代から何がどう変わったのか。この時代に活躍した偉人や文献から、今だからこそ得るべき学びをインプットしていきます。

シリーズ「時代を読む・明治編」

Part1.明治とはどんな時代だったのか
Part2.明治の先達に学ぶ
Part3.明治時代から現代への学び

 

Part1.明治とはどんな時代だったのか

一言で言うと、東洋から西洋へのグランドデザインである。
元々日本人は近代化はしていたがテクノロジーがなかった。中央集権化して地方自治状態になり、人口もそこそこ多くなっていた。そこで国境線を守る軍は持っていなかったがためにテクノロジーが入ってくることで、少ない人的コストで大きな力を得られたことがすごい重要な価値観であって、若い人に力があったことは良いこと。カタカナも多く入ってきてたのもこの頃。カタカナや外来語が多い時代に対応できるのは若い人でないと無理だから。これって結構大切であった。
古き良きものの価値を破棄したわけではないのがポイントだが、皆話は書き換えようとした、恐らくね。ストーリー付けして学校で教えることで、偉人が偉人以上の偉人になったってことがおもしろい。

江戸時代から明治時代へ重要な変化

明治時代以降は、時代の区切りごとにカタカナが死ぬほど増えるんですよね。中央のメディア発信力、当時で言うなら学校などが一番古典的なメディアなので、学校教育などで全員が同じように教えられると外来語などはインストールするのが楽なんですよ。全員環境が一緒だから。そういったのが整ったのが明治以降だけなんですよ。それ以前は、そういったものがなかった。

以前のツイッターで「明治時代はないものづくしだったのに・・・」と語っていたように、落合氏の中では明治時代の評価はかなり高いと話す。

いろんな意見はあるものの、結果論からすれば(明治時代は)良かったのではないかと思っていて、鶏が先か卵が先かという議論は若い人はしない。プルーフオブワークの話と一緒で、最初に信頼があるからアルゴリズムを採用するのか、アルゴリズムを採用したから信頼があるのかという話で、僕はプルーフオブワークの場合、最初に信頼があるからアルゴリズムを採用すると思ってて、そこが大切なことだと思うんですよね。

現代は、先に掘られてしまっていて困っている状態。明治時代というのは、上の人が適用できないなら信用を作りながら走るといった硬直しきった時代にはないパターンの人間が生まれ始めてくる。

走りながら信頼を築いていく

箕輪(厚介)さんがよく多動力って口にするけど(最近は堀江さんより箕輪さんの方が多動力って言ってる 笑)、要は走りながら創るってことが重要。堀江さんは元々上場会社の社長として出てきたが、箕輪さんの場合は走りながら本を作っている。このスタイルが出てくるのは時代の変革点である。箕輪さんは時代の変革地点である。

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『学ぶというより、一緒に進むイメージです。よろしく』(箕輪)

 

信頼を築きながらスケールさせていって、且つ実力を身に付けていくような生き方ができる時代というのは50年に1回くらい(産業的に20年に1回)の恵まれた時代だと思う。世の中の全体的な頻度で言うならもっと低い。
わらしべ長者は馬鹿にできない。できるだけフレキシブルな人間が時代の変革点では勝つんです。

年配の言うことを聞いて正しい選択の時もあるけれど、正しくないときも往々にある。沈みかけの船を安全だと言う年配者には気を付けなければならない。逃げられると沈んじゃうと思って言ってるだけだから。

 

ーー 他に明治時代で評価できることとは

明治で評価できることと言えば「教育」である。何が良いかと言うと、例えば船の専門学校を作るに際しても、地理的に同時期に、且つこういった教育スタイルで作るといった指針があった。また、教育スタンスと人材育成と国土開拓が綺麗に一致していた。今まで教育制度が変わってこなかったのは、このグランドデザインがうまくいったからなんです。
今は地理的には開拓し尽くしているので、次は業種、業態、もしくはITの上での人材をそれにはめていく教育をしていかなければならない。

教育はすごく大切である

今の日本の同質主義的な教育というのは、新しい産業を生む気配がないのでやめたほうがいい。国家がアップデートしないと教育もアップデートされない。教育のアップデートに成功しつつあると語る藤原和博さん。藤原さんのようにガバナンスの利くポジションになれば大丈夫なんですけど、そのコミュニティが他のコミュニティとどのように摩擦を起こすかが僕は気になるけどね。要は、一気にアップデートしないと成立しないんですよね。

僕の場合は72時間学内にいたりでコミットメントは高いけど、普通はそうはいかない。週に2,3時間割いたほうが私はより良く生きられると思っている子もいるわけで、そういった子たちがどうやって教育の中に入っていけるかってことを何か考えたいなと思ってて、結構頑張ってはいるんですけどね。もっとゆるいオルタナティブを社会に作らなければいけない、それがキーワードと思っている。

 

Part2.明治の先達に学ぶ

落合陽一氏が、明治維新の偉人について語る。

「西郷隆盛」の画像検索結果

☆西郷隆盛について

うん、普通(笑)。特にノーコメントかな・・・笑。なんであんな圧倒的に父性の形にしちゃったんですかね。

西郷隆盛が大好きな佐々木編集長は・・・
西郷隆盛って、合理主義と西洋的なところと東洋的なところのバランスがいい。単なる古典主義者ではない。リアリズムがすごいあるし。軍事的なリアリズムを持ちながら、それを超えた大きな思想や人間学みたいなものを持っていて、そういった人は今は日本にいない。西洋的なインディビジュアルとは別のインディビジュアルを持ち合わせているので、日本のロールモデルによりなりやすいのではないかと思う。

 

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☆相棒の大久保利通について

うん、結構好きなんだけど・・・。大久保利通に限らず、高杉晋作や勝海舟、土方歳三に関しても、本当は何の人なんだろうなって・・・(笑)まあ何というか、走りながら信頼を作るってとこが大切で、実際やったんですよね、皆。実際にコトを成したんですよ。リスクを取りながらもポジションを取ってること自体がそういう時代には価値がある。

 

「福沢諭吉」の画像検索結果

☆福沢諭吉について

すごい尊敬しています。福沢諭吉のすごいところは、アカデミズムっていう概念に対する深い造詣とそれがもたらす人材と制度との絶妙なバランス感覚が高いなと思っている。要は人間がフルに脳や学力のスペックだけで判断されるような社会だったら、各世代で割りとリセットされてしまうんですよ。つまり両親がお金を払ったから教育を受けられるといった枠組みではなくて、生まれたときにこの子はできるできないといってふるいに掛けるようなガチャみたいなものでもなくて、慶応なら慶応でそういった組織の中での枠組みがよく分かってた人だと思う。つまり、ガラガラポンとして人間のスペックを計るものではなくて、ある種そこの文化的な折り合いと社会の共同体の中で、この人がどういった枠組みの中で折り合いを付けるかを考えたのが慶応だと思うんですよね。

 

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☆吉田松陰について

吉田松陰のいいところは、先生っぽいことやってたけど、実際やってたのはワークショップ。皆でマキとか割ってるとか。1対nの教育スタイルではなくて、コミュニティを作ってその中で皆で紆余曲折することで人は育つという概念を生得的に理解していた人なんですよね。

 

Part3.明治時代から現代への学び

若い人にチャンスがある時代が明治からの学び = リスクを取るという若者にリスクを取らせる

今はまだリスクを取るという若者にリスクを取らせない時代。「お前がリスク取るってことは俺がリスク取ることだろ」と言ってる人(年配者)がいるが、そんなのどうだっていい。例えば、やらないって言ってるのにやらせる。なぜかと言うと、やらない子がいると大人が困るから。「誰々さんのクラスにやらない子がいます」って言われちゃうと困るから。僕はやらないって子がいたら別に怒らない。やらないって決めて他のことをやるならそっちをやればいいし、やらないことで僕は困らない。もちろんやれるためのサポートはするけど、やれなかったからと言って責任は取らない。それくらいのフェア感がないと一緒に何もできないですよ。

 

ーー この時代の年配者の役割は、若者に気持ちよくリスクを取らせてあげるってことですね

そう、リスクを気持ちよく取らせて、別にケツを拭く必要はないから自由にやらせてあげればいい。擁護してあげるくらいで。そういった考えは大切で、そういったマインドセットに切り替えたほうが良い。「あいつにはやらせる。でも俺は責任を取らん」これでいいと思う。やらせないことが一番の問題。

 

ーー じゃあ、責任は取るからやってみろっていうのが理想ですね

そうだけど、ただそれでは失敗という学びを得られない。それは僕が最近学んでます。つまり失敗を僕が巻き取ると失敗の教育ができない。失敗を肌身に感じないと学びが少ないということ。

 

ーー 教育改革はどこから手を付けたらよいのか

大学。圧倒的に大学です。大学に受かることが目標であり目的になってるからやばい。それが大抵の問題なんですよ。多くの高校や小・中学校のKPIは、恐らく受験です。なぜなら受験以外で自分達の教育が正しかったことを証明できないからです。それをやっているのが大学だからやむを得ない。だから僕は大学の先生をやっているんですが、このニュアンスはなかなか伝わらないと思っていて。ちなみに学力だけで考えると意外に収入の格差は偏ってはいない。大学が多様な人材を取り入れることを目的とするならば、僕だったら試験をあんなにたくさんの教科をやらない。詰め込みできません的に算数と英語くらいでいいんじゃないかな。教養や個別の知識はレポート提出みたくやるとか、民間・民生教育の方のスタンスを使っていく方がいいと思うんですよね。
運の要素は必要だと思ってるんですけど、なんか科目が多すぎて。多様性を求めるなら、一発屋みたいなのがいてもおもしろい。これって大事で、運の要素がないと人ってばらつかないんですよ。

日本の再興は、教育から始まる!

つづきは、

 

読むべし!!

 

 

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